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新潟水俣病問題から立ち上がる環境倫理−人と自然の関わり方の再考

次は鬼頭先生のお話ですが、鬼頭先生は内容が盛りだくさんで、私が消化しきれずメモが間に合いませんでした。故に少量になりましたことあらかじめご了承ください。

映画を見ると新潟水俣病患者そしてその生活のことがよくわかる。阿賀野川流域の方は半農半漁で生活をしていた。川で半分、山で半分、田んぼは食い扶持といった生活だった。そんな生活をしていたわけだが、水俣病が発生し、しかも全員が認定されなかった。

公害問題に第三者はいない。第三者機関は被害者を救わない。結果として加害者と同じになる。大学にいただけじゃわからない。生活を見なければわからない。個々の事象しかとらえておらず、全体として被害をとらえることが出来ない。

また、公害を広めてしまった要因として、原因究明に時間がかかりすぎたというのがある。いろいろな節が飛び交う中で、厳密にやろうとすればするほど時間がかかってしまう。これが自然科学分析の性。一方社会科学分析は例えば二酸化炭素の問題を初め、なんだかよくわからないけど、問題そうだから、みんなで何とかしましょうということになる。

そして政府の政策とどう戦うかが重要である。患者を助けるには患者を知らなければ、深く関わらなければならない。患者の立場に立った保護が必要だ。

環境を考えるとは自然と社会と精神の融合である。ローカルに全てがある。自然は厳しくもそこにある。

posted by: 三枝 孝裕 | 阿賀野川哲学塾 | 19:07 | comments(0) | trackbacks(0) |









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