-
新潟水俣病から育てる共助と自治の流域社会2009.07.02 Thursday
-
大熊先生から始まる討論会お二人目、立教大学の関先生分です。
関 礼子さん(立教大学教授/環境社会学・地域環境論)
1997年 東京都立大大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員、帯広畜産大学助教授などを経て、現在、立教大学教授。開発と自然保護、新潟水俣病などに関心を持ち、フィールドに根ざした研究を行っている。
著書に「新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域」(東信堂)、「コモンズをささえるしくみ」(共著、新曜社)など
(当日配布の講師プロフィールより)
皆さんご存じの「北風と太陽」のお話ですが、北風を受けて身を縮め、固くマントを握りしめる。一方太陽を感じて身体を伸びやかにし、防御のマントをはずす。
今新潟では「新潟水俣病患者」を支える施策の実現と「新潟水俣病患者」を支える社会作りを進めている。新潟県条例は他に誇るべき条例だ。新潟県民の皆さんは自慢しても良い。これは患者の福祉、環境改善、水俣病教育をあげている画期的条例。他方で第3次新潟水俣病訴訟、第4次水俣病訴訟が提訴され、新たな水俣病認定患者も出ている。
新潟水俣病の近年の状況、キーワードは「共助」と「自治」。共助とは共に助け合うコミュニティの力。自治とは自治体の自治力を推進力にしつつ、他地域の中の共助の力を新潟水俣病問題においても取り戻そうとする動き。これは未来の発明の模索である。
2005年以降の新潟県の施策は「ふるさとの環境づくり宣言」以降〜新潟水俣病地域福祉推進条例までの施策は2本の柱で進められている。患者への福祉支援と地域の融和という。安心して暮らせる地域社会の再興、未来への教訓として生かしていく教育。そこから福祉対策、および新潟でこの言葉を使うのが適切かどうかは別として(原語は熊本)もやい直しを推進している。さらには件独自の患者支援策により新潟水俣病と国が認定しなくても、保証を始めた。また患者や社会が声を出しやすくし、それを吸い上げやすい環境作りを進めている。
この背景には患者には身体的苦しみだけではなく、差別や偏見などの精神的苦痛もあった。それを国に訴えても十分な対応がされず、自治体が支援することは重要である。差別も目に見える物もあれば、見えない物もある。また、地域や家族、親類とすら関係が悪くなってしまった。それを和らげる社会関係作りが必要である。
もやい直しは本来水俣市で始められたことである。(「もやい」とは、もともと船と船をつなぐことや、人と人とが支え合い、一緒に何かをすることです。水俣では、壊れてしまった人と人との関係や自然と人との関係を良いものにしていくことを「もやい直し」と言っています。水俣市立水俣病記念館HPより)新潟と水俣市の際は水俣病患者に対する福祉手当の支給が新潟市のみである。市民の関係性の修復という「もやい直し」と結果としての水俣市の活性化。対して新潟では流域資料村の活性化を地域内部での患者同士の関係性を修復し、患者が声を出しやすい環境作りのための手段と位置づける。
太陽(支援)は遠すぎて見えない。周りを厚い雲が覆っている。今更言いにくい、子供や孫がどう思うか、死に欲、金ほしさ、偽患者、水俣病なのにどうしてあんなに元気でいられるのか、地域の噂、陰口、肩身が狭いといったように。それをピンポイントで太陽光を照射し(新潟水俣病地域福祉推進)、市民の自治やNPOといった社会環境による反射熱で補う。それを阿賀野川流域地域フィールドミュージアム事業としてすすめている。地域として繋がることが新しい流域社会の創造になる。省みれば地域にはすでに、援農、食育、自然体験、ラムサール登録湿地、グリーンツーリズムなどの活動が行われている。これをつなげていく。
新潟県で始まった新潟水俣病をめぐる新しい動きは、近年、各地でみられる首長主導での自治の創造の一例でもある。自治体職員だって家に帰れば一人の市民である。だから市民目線で行動をしてもらいたい。これは内山先生の言葉だが「稼ぎ」ではなく「仕事」つまり人生が大切なのである。
-

-
夕飯の際にくじ引きで席を決めたのですが、たまたま関先生と横になりまして、いろいろとお話を伺いました。
大学院以来新潟水俣病にふれ、そして患者さん達と仲良くなっていったそうです。第三者であった物が当事者側になっていく。次の鬼頭先生につながるお話です。| 三枝孝裕 | 2009/07/11 3:25 PM |
- この記事のトラックバックURL
- http://3nintetugaku.net/trackback/74
- トラックバック

