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第4回 新たなる多数派の形成を目指す上野村シンポジウム開催のお知らせ
 皆様、あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

第1回のシンポジウムで上野村を気に入って、昨年末越してきた三枝です。本当に幸せな日々を過ごさせていただいており、ありがたい限りです。

昨年は内山節先生がお忙しく開催ができませんでしたが、2月4日、5日で第4回の上野村シンポジウムが開催されます。是非ご参加ください。


第4回 新たな多数派の形成をめざす
  上野村シンポジウム  の開催について

 平成24年2月4日と5日、これからの社会をどのようにつくっていったらよいのかを、群馬県の山村、上野村から提案する全国シンポジウムを開催します。

参加料は無料です。
(参加ご希望される方は参加申込書のご提出をお願いします。参加申込書にご記入のうえ、FAXまたはメールで送信ください)

電話にて申込や、その他詳しくは下記へご連絡ください。
上野村シンポジウム実行委員会事務局
上野村役場 企画財政課
0274-59-2111 

内容やパンフレットなど詳しくは上野村役場のホームページをご覧ください。

第4回「上野村シンポジウム」について
前日にどんどん焼きの準備を前夜祭をかねて行います。もし前泊できる方がいらっしゃいましたら是非ご参加ください。

以下はうえのテレビで放映したシンポジウムに向けての内山先生のコメントです。

posted by: 三枝 孝裕 | 哲学する広場 | 18:09 | - | - |
【水と土の芸術祭2012 連続シンポジウム】12/11(日)【第1回】
 

「水と土の芸術祭2012」では、3.11大震災を経た今、自然との関わりについて様々な視点から考え直すべく、『自然との共生』を一大テーマとした連続シンポジウムをおこないます。

異なるものと生き、いかし合う、暮らし・思想・芸術とは?
毎回多彩なゲストとともに語り、考え、探ってゆきます。


●第1回テーマ● 『“自然との共生”とは?−3・11震災から学ぶ』

3.11以後、私たちをとりまく環境は大きく変わりました。制御できない自然の力を目の当たりにした今、これまで近代科学技術を過信し、自然を蔑ろにしていなかったかが問い直されています。自然の恵みを享受するだけでなく、感謝と返礼を忘れない関係を改めて作り直し、人・まち・地域が自然力を身につけるには、どうすればいいのか。

今回は、豊かな海を取り戻すために漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を続ける畠山重篤氏や東京と群馬県の山村での二重生活をはじめて40年がたつ哲学者の内山節氏の講演をはじめ、舞踊家の堀川久子氏の舞い、シンポジウムの総合コーディネーターである大熊孝氏や、篠田昭実行委員長、コーディネーターとしてフリーアナウンサーの遠藤麻理氏を迎えたディスカッションを行います。

新潟を育みつくりあげてきた「水と土」の歴史・文化を振り返り、人間と自然のあり方を根底から語り合いたいと思います。


=第1回『“自然との共生”とは?−3・11震災から学ぶ』開催概要=

【開催日時】2011年12月11日(日)午後1時〜4時30分
(12時30分開場)
【会場】だいしホール(新潟市中央区東堀前通七番町1071番地1)
【入場料】無料 定員250名 ※要申込。定員になり次第締め切ります
【申込受付】2011年10月23日(日)〜12月7日(水)
【申込先】
  電話:新潟市役所コールセンター 025-243-4894 
  ※上記受付期間中の毎日午前8時〜午後9時(土日祝日含む)
  Eメール:mizutsuchi@city.niigata.lg.jp 
  ※お名前、連絡先(電話・住所)、参加人数(複数の場合)をお知らせください。

【プログラム】
●舞い 「ここに在ることから」
…堀川久子(ダンサー、水と土の芸術祭2012ディレクター)
●講演1「3・11大津波を受けて、これからも海に生きる」
…畠山重篤(NPO法人「森は海の恋人」代表) 
●講演2「自然と人間の関係の基層――日本における自然信仰の意味」
内山節 (哲学者、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授)
●パネルディスカッション
…パネリスト 大熊孝(新潟大学名誉教授、水と土の芸術祭実行委員会参与、NPO法人新潟水辺の会代表)、内山節、畠山重篤、堀川久子、篠田昭(新潟市長、水と土の芸術祭実行委員長) 
…コーディネーター 遠藤麻理(フリーアナウンサー)  

【主催・問い合わせ】水と土の芸術祭実行委員会
 電話025-226-2625 Eメール:mizutsuchi@city.niigata.lg.jp

※シンポジウム当日の様子は、USTREAMで中継します。
西新潟市民会館(新潟市西区小針2-24-1)の研修室では、中継映像をプロジェクター上映します。(開場12:30〜16:45、申込不要)

http://www.mizu-tsuchi.jp/

20111211mizu-tsuchi1.jpg
20111211mizu-tsuchi2.jpg

posted by: 三枝 孝裕 | 哲学する広場 | 21:44 | - | - |
2011年片品村三人委員会哲学塾 総括挨拶
鬼頭秀一先生:
今回は片品村哲学塾の総括として開催した。片品村とのご縁で募金を集めた。その際には杉山さんや澤田さんにお世話になった。その後桐山さん、飯塚さん、私で連携してきた。桐山さんに預けていい物か迷ったが、大熊さんも内山さんも私がいうなら、すきにしていいと言ってもらったこともあって、預けることにした。桐山さんは東京でコギャルをしていた。農業をやりたくてきたわけではなく、生活をしたくてきた。しっかり生きていくことを学んでいる。若いから心配もあったけど、この子なら大丈夫だと思った。
後ろにある人間関係もつながって見えた。むらんてぃあは一種の社会実験だ。具体的に一つの形になった。私もずいぶん学んで、桐山さんも成長した。

大熊孝先生:
被災者の受け入れは勉強になった。日本は意外と広い。300万ヘクタールも農地があって、100万ヘクタール位しか使われていない。新潟は昔は潟がいっぱいあった。多くを水田にしてきた。潟を復活させたい。水との戦いはやめよう。共生していこうが今の形。

内山節先生:
地震以降イメージとは何かを考えている。原発は安全であるとは思っていなかった。原発は遠くにあると思っていた。我々は電力の受益者である。それが被害者というイメージになった。イメージは実体化することに気がついた。高度経済成長が豊にすると思ってた時代には、そのように動いた。万人がイメージを共有するとそれは具現化する。この先のイメージとは何か。志民が集まって共有されれば実態に転ずる。

木古里の高橋様に写真をいただきました。
2011年片品村三人委員会哲学塾
ご入り用の方はダウンロードください。
posted by: 三枝 孝裕 | 写真が綴る哲学塾 | 20:50 | - | - |
2011年片品村哲学塾 3日目
(司会:三枝より、我々はローカルな問題を扱ってきたが、実は根にあるのはアメリカとの関係ではないかというテーマを出したことを元に)
 内山節先生:
長い歴史のある社会は思考幅が広くなる。歴史がなぜ重要かと言えば、振り返って考えることができるから。法隆寺が残っているというのは、ずっと同じ物が残っていたというわけではない。建造する技術が残っているから、補修ができる。ずっと木を扱ってきた文化のすばらしさ。
アメリカがよくないのは、先住民の歴史を押さえていないから。殺戮と略奪の歴史。アメリカが歴史があるといいたいのであれば、負の歴史も正当に見る必要がある。日本の明治以降くらいの歴史しか持っていない国が世界の中心である不幸。横につきあうことは縦につきあうことでもある。歴史同士のつきあい。近代以降の歴史だと振り回されてしまう。歴史的世界観を持ちながらつきあう。

鬼頭秀一先生:
アメリカの問題は昨日取り上げた知的財産権が象徴している。先住民族を抑圧してきたことを正当化して、グローバルスタンダードとしていこうとしている。知識とか文化、金融と対峙していくか。必ずしも合衆国であり、アメリカ人ではない。沖縄の人の犠牲にたったつきあい方を今はしている。根本的に変えていく力を持たなければいけない。

大熊孝先生:
知り合いにフィリップ・ブラウンという人がいる。日本の割地制度を研究している。洪水で氾濫したときに面積を割り直す。面積だけではなく、収穫量が同じになるように。律儀な人でお中元やお歳暮が未だに届く。
グレイハウンドバスにのって3ヶ月かけてアメリカを横断したことがある。安いバスなので、黒人や有色人種が多く、白人は乗っていない。TVA(テネシー川流域開発公社)を見たくて旅行していた。(日本の)国土開発の模範になった。
しかし今では民主主義が底辺から始まっている。ダムの撤去の時代になっている。技術的には転換が早くておもしろい国だ。

会場から:
アメリカだけに注目しては仕方がない。中国はすごい。これはから中国との間をどうするかを常に考えなければいけない。

鬼頭研 中国人留学生より:
日本的な物は何なのか(ここで)議論があった。今はため池を勉強している。里山を勉強する際に木を切らないことが問題だというのが不思議。中国は今木を切りすぎている。中国的な物は何かといわれれば、「したたかさ」だろう。日本人からは共産党が上から押しつけているイメージかもしれないが、そんなことはない。上への顔と下への顔を持っている。

大熊先生
中国のダムは日本海にも影響を当たるだろう。

会場から(2):
安ければいいと言うのではなく、安全の大切さを伝えないといけない。

会場から(3):
事故や災害が起こらないようにするよりも、起こったときにどうするかが大切。

内山先生:
日本の森林はよく手入れされている。何を持ってよしとするかだ。30年先に使うのか、100年先に使うのか、300年先に使うのか、最終的な利用形態のために管理をしている。テレビでは日本の森林が悪いキャンペーンを張っている。TBSの番組では干ばつをしていないから、木が倒れていると報道していた。それは全く逆で間伐した木材が倒れている。間伐した森としていない森の比較では、杉と檜だった。間伐したから明るいのではなく、杉と檜では木の育ち方が違うので、光の加減も違う。もう少し勉強して報道してもらいたい。

大熊先生:
時々停電があるのが、自然エネルギー。停電して困るところは商用電力を使えばいいし、今日はたまに電気が切れても平気な物は、自然エネルギーを使えばいい。そうやって棲み分け手つきあっていく。
posted by: 三枝 孝裕 | 片品村三人哲学塾 | 20:31 | - | - |
2011年片品村哲学塾 2日目 後半 TPPについて
 農山漁村文化協会 阿部道彦さん:
TPPはもともと小さい国同士のつながりだった。ここにアメリカが乗っかって大きな話になった。アメリカの目当ては雇用対策。TPPの実質は日米のFTAである。普通何か問題があると賛否両方の本が出版されるが、賛成派の本はほとんど出ていない。TPP賛成派は専門家が出てきてコメントする人もいない。明治の開国の際に不平等条約を結ばされた日本は長い時間かかって苦労して関税の自由権を取り戻した。再び関税の自由権を渡していいのか。全部がアメリカンスタンダードになっていいのか。メディアの出し方が偏っている。農業反対、工業賛成というわかりやすいものではない。

会場から:
中国は高くても日本米などを買う。大量生産分野では勝てないが、それ以外なら勝てる。参加しないと国際的な場面での発言権がなくなる。

会場から(2):
EUの成功事例がある。関税の代わりに補助金を出して、国内の産業を保護した。さらに資格制度を設けるなどして国内製品の購入を支援。

かがり火 菅原歓一さん:
今はなんとかなるが20〜30年たつと取り返しがつかなくなるかもしれない。EUの経済危機の事例もある。

内山節先生:
オバマ政権で世界的企業を育て雇用を促進させようとしたが、明らかに失敗している。世界的な企業ができると国内の雇用は増えない。例えばgoogleという会社があるが、あれはすべてアメリカでやっている訳じゃない。現地の文化にあわせて各地に支社を作って現地で職員を採用している。パソコンではマイクロソフト、インテルという企業もあるが、あれも同じ。世界的な企業ができると世界に支社が増えていくだけ。
日韓タイは経済的には一つの国だと思っている。ナショナルメーカーは確かに国際的競争力を失っているが、部品メーカーは関係ない。外は各メーカーのラベルが貼ってあるが、中身は同じ企業で作っている。中国がレアアースの輸出を止めた際に、すぐに取りやめたのは、国内で製造している機械のうち、主要な部品は日本で作っている。レアアースの輸出を止めると、その部品が入ってこなくなり、結局自分の国の生産が止まってしまうことが明らかになってしまった。
様々な問題がある中でそれをどう解決するか。そもそもTPPのメリットがない。金融や保険はすでに自由化されているし、アメリカが参加するメリットがよくわからない。それにTPPで何をしたいのか、何が条文に明記されているのかもわからないままに、何となく議論が進められてしまっている。だからTPPを議論することよりも、ほとんどは流通の問題なので、流通を直さなければいけない。大国アメリカが崩れている。アメリカは今回の件で主導権を握りたいだけなのではないか。

鬼頭秀一先生:
次の社会の原理はどう市場社会と折り合いをつけるか。

内山先生:
日本でしか作れない物をどう作っていくか。市場で価格競争をしなければいけない物はもう日本で作っても仕方がない。そうなると(今や製造業ではなく流通・金融業になってしまっている)大手ではできない。

鬼頭先生:
アメリカ流を輸入したときに一番の問題は特許。遺伝子まで見つけた人に権利があるとされてしまう。途上国では経験的に使っていた草花も、特許により取り上げられ使えなくなってしまう。

会場から(3):
消費者教育が必要。消費者が求めるから作ってしまった。

内山先生:
近代技術は個人の利便性を高めることを目的としてきた。その後ろには巨大なシステムを持っている。例えば、携帯電話、電気もそうだが、個々人が使っている後ろには巨大なシステム、電話会社や電力会社により管理されている。逆に個人は自由度を失った。巨大システムの管理なくしては、行動ができない。
技術は個人の利便性を高める物でいいのか。エネルギーは個人の物なのか。昔はエネルギーの主体は薪であり、薪は里山から採取するわけだが、里山は共同で管理していた。
posted by: 三枝 孝裕 | 片品村三人哲学塾 | 19:36 | - | - |
2011片品村哲学塾 2日目前半

 2日目

山梨県庁 手塚伸さん:
甲斐は間という意味。関東と関西の間、昔朝廷から見たら東の方は蝦夷地で別の国、その間の国。そしてこの世とあの世の境という意味もある。
山梨県はサリンで一度危機を経験していた。それもあって組織作りを進めていた。
今仕事が変わって、裏から組織作りをしている。行政の立場で発言をすると、なかなかうまくいかない。民主主義はいろいろな価値観がぶつかる。組織の中で発言していくのは大変。
そこで産官学が意見を交わしあう場が10年前からできた。県庁は県民の声を聞かなければいけない。県庁内からは発信できないが、外からならば聞き入れる。誰が誰に発言権を持つか、後はじゃんけんと同じ。この人はあの人には勝てないが、別の人には強い。組織と組織、ネットワークとネットワークをつなぐ。グループとグループの支援。
例えば生分解性プラスチックの素材に海の成分を入れるといい。今までは千葉でわざわざ採取してもらい高いお金をかけていた。一方広田湾ではそれを処理するためにお金をかけていた。お金をかけていた物がいくらかでもプラスになる。
役所が動かないことをせめていても仕方がない。役所が動ける場を作ってあげることが大切だと思う。


群馬県庁 桑原光二さん:
(群馬県・草津温泉の近く)東吾妻町でも400人受け入れた。東吾妻町は杉並区と防災協定を結んでおり、その杉並区が南相馬と姉妹都市提携を結んでいたので、杉並区から要請があった。防災無線で行方不明者がでたと連絡があった。南相馬の人が何人か逃げてしまった。こんな山の中はいやだと。結局都内にいた。片品村に触発されてどんどん支援を行った。
行政の対応をいろいろ見ていたが、対応が分かれた。浦安市では液状化に対応していたのが市の職員。東北はお地蔵さんがあるせいか、住民が対応した。


大熊孝先生:
只見川も大水害にあった。鉄橋がいくつも落ちた。復興する気はJRも国もない。ましてや東北電力も。東北電力は原発が使えないでいるために、ダムに水をためていた。そこに雨が重なり、一気にあけたので、鉄橋が流された。東北電力に落ち度があるわけだが、JRは国が自然災害だと認めたので、賠償請求することができないという。
ダムがあるために3ヶ月たった今でも水が濁ったまま。完全に自然を失ってしまう。9mの堤防を作って民家を護ろうとしたが、一度水害が発生すれば、今は誰も住んでいない。原発も国内ムードは脱原発なのに、原発を輸出しようとしていることがおかしい。政財界と国民が乖離している。


内山節先生:
脱原発は決定事項。脱原発は期間の綱引きになっている。日立・東芝・三菱など原発メーカーは30年なり時間を延ばせたらまた作れるかもしれない。電力会社は原発はどうでも、送配電と発電の分離だけは絶対阻止。
原発は作る側には魅力的だ。部品が特殊な物が多く、言い値で買ってもらえる。それにその部品を他に応用することや、そこでも研究開発ができる。日本で売れないなら海外に持っていこう。でも国内で反対されるのはまずいというのが今の立場ではないか。
地元が自重できるかどうか。即廃止はできない。代替エネルギーの早まらせるか、そういう動きを加速させ、研究費をかける地元がいる。
電力会社の行動原理は不思議。まともな商売をしていない。上野村で発電機の増設案が出た。現在2機あるが4機までは増設できる構造になっている。しかし需要を見余ったので5000億かけたがやめたいといってきた。村は固定資産がほしいので、増設を願い出た。間を取って1機の増設となったが、震災後あわてて増設を行っている。東電は不思議な会社で5000億をすでに投資しているのに、中止に際して誰も責任を取らないし、謝りにも来ない。普通の会社だったら取締役の首が飛ぶような自体なのに。ダムそのものより発電機が固定資産税としては大きい。ダムは造ればだんだん減価償却されていくが、発電機は20年に1回くらい更新が必要。更新すればまた税金が発生する。
先日ローカルサミットで行っていた南砺市では、マイクロ水力発電で、電力の自給を考えている。小田原市では会社を興して地域電力を作る動きがある。


手塚さん:
マイクロ水力発電はゴミが大変。買電に使うとなるとゴミは産廃処分しなければならない。処分料に金がかかってしまう。そこでゴミが詰まったときに自動で流してしまうシステムを山梨の会社が開発した。流してしまえばゴミにならずに済む。


かがり火発行委員会代表 菅原歓一さん:
支援すると言うことは複雑。桐山さんたちがいなかったらできなかっただろう。畠山さんも有名人。こういう人にはきちんと支援が届く。しかし偏屈で人との関わりを避けているが、立派な人はたくさんいる。こういう人には支援が届かない。だから普段からつきあった方がいいのか。本人の性なのか。


有限会社建築工房 嶋影健一社長(福島からいらした方):
家庭の電力を20Aに国民運動としてしたい。今回の原発事故はなんなんだと思ったが、東電から金をもらっている。県民も利益を得ていた。年間被爆量100マイクロシーベルト以下というのは原発で働いている人の基準。その基準を決めた人が今県立医大の副学長になっている。チェルノブイリの研究が評価されてガン学会から表彰をされているが、ガン患者を増やすことになるから表彰されたのではないか。医者は患者がいなければ成り立たないのだから。
建築士の仕事をしているので、エネルギーを使わない家の設計を心がけている。床暖房に太陽熱を使う。暖まらなくても冷たくならない。これだけで十分。エネルギーを循環させていく。地方だけでやっていても仕方がないので、地方から都市へ売れる物を作っていかなければいけない。
県産材の利用に当たっていたが、この震災で全く売れなくなった。放射能の心配があるということで移動禁止になってしまった。(皮には放射能が付着しているが、材木には付着していない。)そして県内に山のように在庫として材木が残ってしまった。それを仮設住宅に使ってもらうことにした。外から買うと1件あたり600万円かかる。
売れないならば集塵機をつけてバイオマス発電に使うことも考えているが、関わった人にしかお金が落ちない。補助金には頼らない。
共同体をどう再構築していくか知りたくて今回参加した。


内山節先生:
チェルノブイリでは皮をはがせば平気だった。土の中にしみこんだストロンチウムは葉に蓄積した。しかしセシウムは木の中に入ってしまう。今後が問題。


鬼頭秀一先生:
チェルノブイリと違い土に残っている。植物があまりすわない。ひまわりなどで除線を試みたチームは失敗した。除線で表土の粘土層を取り除くことは簡単だが、それが農家にとっては一番いい土。そうなると何をしているのかわからなくなる。


内山先生:
日本の農村は定着民と思われているが、きちっと調べると意外と移住をしている。せいぜい3〜4世代くらいしかさかのぼれない人が多い。移動性を持ちながら定着している。永遠の世界を感じたらそこで定着している。
南相馬と南砺市は人が交流していた。南相馬は人が足りず、南砺市は人が余っていたころ、浄土真宗の交流で南砺の人が現地に行っている。やりながら社会を作っていく。


鬼頭先生:
定住は考えなければいけない。除線の予算は十分に付いていない。除線の限界が見えている。年齢や区分も必要。大人にはこのような時代になってしまったことに責任があるが、子供にはない。子供の健康をどうやって守るか考えなきゃいけない。政府や専門家も役には立たない。


立教大学 関礼子先生:
マスコミはこの原発の件に関して報道規制をしている。NHKのアーカイブスを見ている。論文を書くと見放題になるのだが、震災関連は扱わない。触れない。さわらない。政治の駆け引きの中で難しい話になってしまっている。
住民は当日着の身着のまま出かけたら、突然避難所暮らしになってしまう。
山と海との交流をしていた自治体。自治体だけの関係ではなく住民ぐるみでつきあっていた。そこでまずは人が逃げて役場も移転したら、いったん収束したら戻る人が出てきてしまった。
被害に遭いながらも原発に頼らざるを得ない。
高校生がインタビューに答えて「ふるさとを失った」といっていたことにショックだった。周囲に流れてくる情報と実際がずれている。個々の都合を考えながら解決していかなければならない。


会場から:
誰も責任を取らない社会システム。専門家や学者も含めて。水俣病と福島はにている。水俣だって排水基準を満たしていた。しかし問題は起こった。
日本では産業にならないから東南アジアに輸出した。原発も輸出する。
農業も洪水を嫌う。しかし大洪水の後は平年の1.2倍とれている。洪水も嫌うことはない。


関先生:
水俣病は収束したと思われているが、未だに続いている。半世紀続いている。第一世代の方は多くがなくなってしまっている。しかし完全には解決していない。放射線も同じくらいかかるだろう。


大熊先生:
有機水銀は工場から出ていない。封じ込めただけ。水はダムがあって汚いまま。発電所は地域の自然を収奪する。それからの問題はまだ続いている。


鬼頭秀一先生:
チッソも当時は日本の最先端のトップ企業とされていた。しかしアセトアルデヒドの製造はすでにそのときには終わりの時代を迎えていた。でもつぶせなかった。10年後にようやく製造を停止する。東電だって今止められない。10年後、20年後とされてしまう。塩化ビニルが石油コンビナート生産に移っていた。それでも頑固にチッソはアセトアルデヒドを製造していたが、結局時代の流れに逆らえず生産を中止しただけ。漁民には当然被害が多かったわけだが、一番被害が多かったのはチッソに関わっていない人。
今年の山菜はうまくないという。放射能の心配があって気にしながら食べているというのもあるが、放射能の可能性があるので、人にもてなせない。人と一緒に食べられないからうまくない。山菜はもともと自分だけで食べるものではない。もてなしの料理なのだ。
チッソは今好調な液晶部門だけは本体から切り離し、保証だけの別会社となった。これには多くの人の反対があったが、実施された。今原発の問題は30年結局入れないのだから、最終処分場を福島に作ろうとしている。どうせ入れないならいいじゃないかと。放射能は目に見えないだけに有機水銀よりもっと大変かもしれない。子供の安全と農を守ることは同じ。水俣の経験は生かされなかった。


内山先生:
あのころと違いもある。高度経済成長を軌道に乗せようとしていた時期は経済成長のためには多少のことは犠牲にしてもいい時代だった。しかし今は経済成長はもういいよという時代になっていた。前提が変わっているが企業と政府は変わっていない。戦後の日本を悪くしたのは、日本人がみんな被害者になってしまったこと。ある意味では自分たちも加害者な訳であるが、(経済成長以外のことを犠牲にしたわけで)すべて軍部が悪い、自分たちはだまされたと言うことにしてしまった。今は何をしゃべっても逮捕されないのに、だまされたというのは情けない。
悪い○○ VS 良い私たちの対立になってしまう。被害者といい人たち。戦後から一貫して変わらない。そこが気になる。ある程度加害者性を認識しているから節電をしようと言うことになる。
その構図は何とかしないといけないと思う。けじめ。企業や政治家にとってもらうという意味もあるけど、そういう過程で我々はどうしてきたのかを振り返る必要がある。
先進国も途上国も本来はない。日本は江戸時代は先進国でも途上国でもない。しかし明治は途上国。目標に向かって突っ走るのは途上国になった。途上国型国家は目標に国民を引っ張る。そのときに起きたのが関東大震災。先進国のイメージと現実の調整ができず、大虐殺につながった。
戦後また途上国になる。経済で欧米を追い越せ。僕はもう途上国は終わったと思っている。服はナショナルブランドは関係なく、フランスだろうが、イタリアだろうが、日本だろうが気に入った物を買っている。しかし食べ物にはこだわっている。食べ物は産地にこだわっていると言うよりも、安全にこだわっている。
政治は途上国型。世界中の政治がそう。政治に深く関わる経団連もそう。世界最大の国がアメリカが途上国だから。アメリカが世界を牛耳ろうとして絶えず新しい人を作って国民を動員する。途上国型ではない政治とは何か。ただ言えるのは中央集権から地域主権へ動いている。このギャップを埋めるにはどうしたらいいか。


大熊先生:
新潟県は変わった。トップが動いたから。水まで見に行って新潟水俣病の条例を作った。トップがどういう行動に出るかが重要。関係性が見えることが大切。東京都知事は一回新潟にきてもらいたい。原発が壊れて初めて関係性が見えた人が多い。都知事が来れば都民も関心を持つ。生活の成り立ちがどういう関係性の中で成り立っているのか目に見える形にすることが大切。


三人委員会哲学塾ネットワーク世話人 澤田和子さん:
無関心は無責任。私たちの仲間松田さんが原子力委員になった。市民の意見を聞いているふりをしなければいけない。関心を持つこと自体が非国民。
原発だけの問題じゃない。産業、経済、政治、これが見える形で見えてきた。


大熊先生:
内山さんの最新作に書いてあるが、「体で考える」ことが大切。石巻小で津波がくるので、小学生を校庭に並ばせておいて、津波がくる方に逃げて死んだ。これを児童に自由に山の方に逃げさせたら助かったかもしれない。先生が頭で考えた結果。


飯塚課長:
学校の先生の授業だけで完結できない授業が増えている。そうすると塾に行かざるを得ない。経済格差がそのまま教育格差につながってしまう。学校の外に生徒を出すことができない。責任の問題がついて回る。


南相馬市から非難されている方:
向こうでは小中学校が授業をしないというので、放射能のない片品村にきた。住めば都。でも家族が半分に別れている。片品村の人は優しいからずっといたい気持ち。帰っても放射能があるし。
放射能がなくなればやはり帰りたい。来年学校が始まるとしたらどうするか考えなければいけない。

posted by: 三枝 孝裕 | 片品村三人哲学塾 | 21:39 | - | - |
2011片品村 三人委員会 キックオフスピーチ

 鬼頭秀一先生:
昨日をふまえていろいろな議論ができればいい。受け入れの異議もあるが、3.11をどうとらえるか。ここでの話があまりにもいいが、大きな問題もある。
受け入れの背景には若者の雇用促進などがある。役所からすると若者が見えない。まりこさんやえみこ先生の(村づくりの)蓄積があったところに、3.11があった。若者が行政には見えないところが、よく見えるようになった。
むらんてぃあは猫の手のような活動、最初はボランティアの意味合いが強かった。村のサポートも必要だし、途中はそう簡単ではなく、村の位置づけを考えさせられた。今までのボランティアの形ではない。もともと日本には相互扶助があった。
宿には避難者一人あたり2500円が支給された。他の市町村では国の助成にあわせ、5000円にするところもあった。2500円のマジック。危機的な状況にあるときの支援、ボランティアをどう受け入れるか。ボランティアが多数急にやりますときたときにどう受け入れ、どう考えるのか。5000円もらうと宿はお客さんとして扱わなければいけない。据え置くことによってサポートできた。
170万物義援金を預からせていただいて、こんなに預かってどう使うのか困っていた。一般的には村に入れる。日本赤十字のお金がまだ残っていて、通常ではまかりなりにも機能していいるシステムが、このような事態には対処できない。どういう風にしていくか迷った。若い桐山さんに預けることには不安があった。しかし内山さんも大熊さんも私を信頼してすきに使っていいというので、むらんてぃあに使ってもらうことが一番いいだろう、彼らの感覚に任せることが重要だと考えた。三人委員会哲学塾ネットワークで預からせてもらえたのはある程度信頼があるから。(群馬県青少年・少子化対策課長)飯塚さんにはかなり協力してもらった。
今の行政のシステムでは定期券を特定の人に配ることはできない。南相馬から避難した人だけ優遇して、村民はいいのかと言うことになってしまう。実際に自分でも現状を見て、桐山さんたちは良く現場を見て判断しているから預けることができた。使い切らなくて余ってしまうかとも思ったけど、義援金があったからできたこともある。
国の財政支援もあるので今後を考えていかなければいけない。南相馬は原発問題で4区域に別れた。保証金の配分の額が違う。市として配分を変えるわけにはいかないので、市の負担で同じにした。地図上に同心円を書くことには全く意味がない。半径20キロ圏でも東京と同じところもあるし、柏のように放射線量が高い地域もある。
高度経済成長から阪神淡路大震災まで地震がたまたま少なかった。そういう中で原発が建てられてきた。

 

内山節先生:
あんまり今回の件に関して直接は活動していない。そこで僕の周辺で活発に動いている人の話をしたい。
一番最初に動いたのは小田原JC。かまぼこ屋の鈴廣さんが小田原の地域作りに熱心で市長とも親しい。最初は電話がつながらなかったが、つながるようになると全国にかまぼこ屋のネットワークがあり、それを活用して何が足りないか直接聞いて、必要な物を(震災から)一週間以内に届けた。行政では必要な物を必要なときに配れない。
箱根の山を越えるとムードが違う。名古屋を超えるとさらに違う。何かをしないと社会が持たないと東日本は思っている。草の根的な感覚。
気仙沼で漁師をしている畠山さん。3人の子供は外で仕事をしていたが、戻ってきた。その中の一人、普段からアドベンチャーな人は津波を泳ぎきって生還した。彼の元にも我々から2800万円の義援金が集まった。牡蠣の養殖では稚貝を買わなければいけない。しかし彼は義援金には手をつけず自己借金で対応した。
ルイヴィトンから畠山さんの元に3000万の支援があった。今後も数年支援していくそうである。それはフランスの牡蠣が病気で全滅した際に畠山さんたちのグループが稚貝を送って危機をしのいだ。だから今も日本とフランスは近い種類の牡蠣である。ブランドを見るとすきじゃなかったのだが、見る目が変わった。
2ヶ月くらい生き物が全くいなくなった。フナムシも含めて。そしたら2ヶ月すぎたら続々と戻ってきた。畠山さん自身はおじいさんから聞いていたそうで、津波はものすごい海が復活すると。
災害の前から連携していたところは、今回機敏に動けた。適切に回すには行って支援するよりも、お金が有効だった。ただし、それは現地に受け取る主体があるとき。日赤や行政に送ったお金は今も使われずにいる。高崎のグループが片品村でプロの料理人たちが出向いてすべてをまかなう、ハッピーレストランを開いた。無理を言って最初は迷惑をかけた。
バブル崩壊以降そういう動きを強めていた。だから動けた。日本は先進国で最強だと思っている。経済ではなく、何かあったら動けるという意味で。
震災があった日は日本にいて、どうしようか迷ったが予定が詰まっていたので、パリに向かった。パリの新聞も日本と同じようにほとんどが日本の地震の記事だった。日本が崩壊したと思う人も多くいた。なぜならイギリスの放送局が流したニュースが世界的に報じられていたのだが、元はNHKの映像であるが、被災地の後、東京の映像を流したので、東京が津波にあったと思った人もそうとういた。その後オランダとベルギーに移ったがそこでも同じだった。ただ、福島のニュースに切り替わっていた。
日本で暴動が起きていない。フランスなら略奪が起きる。避難所も順番を待っていることに世界が驚いていた。今回の震災に関わる物はすべて答えるようにしているので、伝統的な物かマスコミから質問があった。しかしそうではない。60年前の関東大震災では読売新聞が朝鮮人が井戸に毒を入れたと報道したことで、朝鮮人の大虐殺につながった。神田署に朝鮮人がかくまわれていると聞けば、警察署をおそおうとした。しかし所長が俺の目の黒いうちは一歩も通さないといったことは有名な話である。
なぜ、今回は違うのか。そういう方向(暴動を起こさない。人との連携を生み出していく)に向かって歩み出している人が多かった。ソーシャルビジネス、社会的目標を達成するビジネスが盛んになっている。持続性を持たせるにはビジネス性を持たせないといけないが、利益の最大化が会社の目的ではない。利益が目的ではないので、(社会が)続けばいい。日本の場合多くのソーシャルビジネスができていた。失敗すると次が続々とくる。例えば専従の人がいるNPOがそうだ。専従の人の給料は確保しなければいけないが、利益を上げるために活動をしている訳じゃない。


大熊孝先生:
新潟では2004年7月に大きな被害を及ぼす水害があった。中心市街地で堤防がきれた。そして10月23日に中越地震。さらに2007年に中越沖地震。今年も豪雨。立て続けに災害が起きている。
私たちも義援金を集めたが、赤十字に金を渡すのをやめることにした。直接知っているNPOに渡す。それが不公平になってもいい。どうやって持続性を確保するか。
2009年に太田総理の番組に出た。(日本テレビ系列で爆笑問題太田が総理大臣になったと仮定して進める番組「太田光の私が総理大臣になったら」)いっぱいしゃべったのに1分以下しか使ってもらえなかった。八ッ場ダムの問題で、浅間山は200〜300年に一度大噴火をしており、それを考えなければいけないことを伝えたが、そんな先のことを考えても仕方がないと太田総理にばっさり切られてしまった。200〜300年を考える時間感覚が彼にはなかった。現代の時間感覚しかない。同じことを今なら切り捨てられないで済んだだろう。
高度経済成長期以降、今しか考えられなくなった。千年に一度の震災を経験して変わった。ダムは100〜200年で土砂で埋まって使い物にならなくなる。そういうことを全く考えていない。長く生きていくと言うことを考えていない。その中の八ッ場ダム。
紀伊半島の豪雨などを見ていると(我々が従来想定していた物と)気象の桁が違ってきた。でも明治22年の方が大きな災害が起こっているが、それは全く報道されない。
少なくとも100〜200年の時間か感覚は必要。

posted by: 三枝 孝裕 | 片品村三人哲学塾 | 19:34 | - | - |
2011片品村三人委員会哲学塾1日目 公開シンポジウム 第1部〜第2部

 昨年、片品村を支える優秀な若者たちの10年後の成長を期待して昨年片品村哲学塾をいったん終了しました。そしてご存じの通り3月11日の東日本大震災がありました。早急に南相馬市からの避難者を1000人受け入れた、人口5000人の片品村に敬意を表し、本ネットワークでも今までのご縁もあり、義援金を集めるなどの活動を行って参りました。

 今回は片品村のまとめを一つの冊子にするとのことで、あまりメモを取っていなかったのですが、例によって私のメモを元に記載いたします。発言のママではありませんことご了承ください。

片品村村長:
桐山さんを始め世話になり9月に避難者の受け入れを終えた。村長という仕事は判断に迫られる。今までは隣が判断基準。隣がやっているから・・・。そうではなく善は急げと言うことでやってきた。予防医療が医療費抑制につながると信じ行動してきた。
14日(情報収集と被災者受け入れの話をするために群馬)県庁に向かっているときに、まりこさん(かしや女将)から連絡がきた。「片品村でも何かしたい。」その後新聞発表などがあり一般の方から5人や10人なら、宿に余裕がなければ自宅でも受け入れられる旨連絡をもらった。みんな同じ気持ちで安心した。心配していたのは一人でも命を落とすことがあってはまずい。そして宿にお客さんとして受け入れてもらうのではなく、家族のように接してもらうようにした。喜びの声で皆さん帰って行った。


片品村むらづくり観光課 木下浩美課長:
3月11日それは定例議会が終わった日だった。村長が受け入れを表明してからいろいろなことがあった。県庁に行ってみたが、県庁も(被害状況など)よくわからない。そのような中で避難者の受け入れる。どうしたらいいのか。とりあえず県は支援物資を運搬すると聞いたので、我々も南相馬市に支援物資を運ぶこととした。物資運搬と同時に、被災状況を実際に確認するために職員2名で向かった。

片品村は日光市と防災協定を結んでいる。日光市は福島県と仲がよい。そこで16日福島県から被災者の受け入れ要請が(群馬)県にあった。しかし被災者の皆さんは何もわからぬまま郡山に避難していた。その状態で郡山から連れてくると大変だからということで一回は話がなくなった。


鬼頭秀一先生:
東京は恥ずかしいくらいしか受け入れていない。東京の電気を作ってくれているというのに。


村長:
各宿の収容人員から考えて1万人までは受け入れられるとわかっていた。さらに国の防災マップでも大きな地震が来ないことになっている。東京電力の水力発電所があるから、電力もまかなえる。さらに山のわき水を地上に出る前に直接使っているので放射能汚染の心配もない。そういう背景もあって受け入れを表明できた。
災害救助法に該当するが、旅館の使用は初めての試みだったので厚労省の許可が必要だった。当面の費用は村が負担するつもりでいた。
なんと言っても苦労したのは燃料の調達。おとなしくしていたら入ってこなかった。民間の感覚から、利根農協のトップに直に交渉したら翌日には届いた。

今日本海側が心配。中国はどんどん原子力発電所を建てている。ロシアもそう。もし事故があった場合には、風や黄砂に運ばれてきてしまう。


木下課長:
23日大型バス23台で、職員が10人バスに同乗した。南相馬の職員は0名。片品村の高齢化率は27%だが、受け入れた人は40%の高齢化率だった。とりあえず避難していたので、病院にも行っていない。薬を持ってきていない人も多かった。


千明片品村旅館組合長:
受け入れ自体はすんなり行われたが、細かい話は大変だった。避難者の方はてっきり体育館に泊められる物だと思っていたので、だから布団を使っていいことにびっくりされていた。服もワイシャツくらいしか持っていない人もおり、服をあちこちに頼んだ。ジャージが一番助かった。
次の日何が必要か聞いてみた。沼田までマイクロバスで連れて行って米紙艶必要な物を買ってもらった。南相馬の人だとテレビで見て知っていたので、レジの人がビールやバッグなどいろいろな物を持ってきてくださった。

23日に宿の移動があった。非難された方はお客様ではなく、一緒に生活してもらうことにした。あんまりお客様されてしまうと、いろいろなやる気を失ってしまう。


木下課長:
ボランティアが既往症などの調査補助をしてくれた。それでも4人の保健師さんは休みなしだった。


むらんてぃあ事務局 笠松さん:
状況把握を開始したとき、すぐにやらないと命に関わる状態だった。それですぐに行動に移した。避難者の1/3が何ら中の病気を持ち通院していた。薬が残っていない人が36人。3日以内に切れる人が100人。


鬼頭先生:
40人の若い人がすぐに集まることがすごい。


南相馬から避難してきている方:
名前も知らない片品村へ8時間かけてきた。3日後にバスがでるから避難したい人はそれに乗るよう言われただけで、他のことは何も説明されていない。子供は久しぶりに外に出かけられたので喜んでいるが、到着先は体育館かもしれない。生活にも不安があった。さらに到着したとき(0時少し前)には周りは真っ暗で雪も降っていた。ここはどこ?それでも旅館の人たちは温かく迎えてくれた。布団も最初は入っていい物かとまどった。


桐山三智子さん:
若い人たちが自分たちも何かできないかと集まった。村人という意味のむらっていとボランティアを掛け合わせて命名した「むらんてぃあ」の形になる。いつの間にかボランティアの受付になっていた。最初は何をしていいかわからず浮かれていたが、これではだめだと思った。一番忙しい医療は手伝うことができないし、できることを始めた。
宿替えをしたので、情報収集が必要だった。(医療の)緊急度などを調査。保健センターは電話が鳴りっぱなしだったので、調査のお手伝いをした。被災者と村人との両方に対応。病院との運転者の調整などを行った。

報道機関は正直じゃまだった。自分たちは何もしないのに見た目のいい子だけ連れて行って取材をする。でも(被災者の家族から)NHKで元気な姿を見たといわれたといわれたときには複雑な思いだった。南相馬の人をだしに使ったと批判されることもあった。メディアに映りたいために行動しているのかと言われたこともある。


笠松さん:
報道で村の人が初めて、実際に南相馬の方がきていることを知った人も多い。確かに話には聞いていたが、実際の姿を見かけたことはない。それまでむらんてぃあもじゃまにされていたが、初めて認識された。報道とはうまくつきあっていく必要がある。
(鬼頭)先生からいただいた義援金は南相馬から避難してきた高校生が高校に通うバスの定期券の費用などに充てた。


鬼頭先生:
役所は縦割り。柔軟に動けない。役所も苦悩していた。つなぎがいる。行政における平等性を考えてあげる必要がある。 

posted by: 三枝 孝裕 | 片品村三人哲学塾 | 17:38 | - | - |
三人委員会片品哲学塾会場の変更(公開シンポジウム)


三人委員会片品哲学塾 2011
2011年11月6日(日)〜11月8日(火)
 公開シンポジウム会場、弘化の庄「かしや」に変更


「三人委員会哲学塾片品2011」公開シンポジゥムの会場を片品村「農林研修室」から弘化の庄「かしや」に変更いたします。 
片品村、「片品むらんてぃあ」の方々の活動を、膝つき合せて語り合いたい!
「現場」から「本音」で語り合いたい! と急遽会場を弘化の庄「かしや」に変更いたしました。
弘化の庄「かしや」は、哲学塾7日、8日の会場でもあります。 
宿泊の等の手配がありますので、お早めにお申込みいただけると幸いです。
(10月末日までにまとめたいと思っています。)

■お問い合わせ・お申し込みは・・・
三人委員会片品哲学塾2011 実行委員会
〒277-8586 千葉県柏市柏の葉5-1-5 東大柏キャンパス環境棟622 号室 鬼頭研究室気付
Tel:090-7008-2930 (e-mail: kitoh@k.u-tokyo.ac.jp )    
 新集合場所のご案内  
 11月6日(日)12時受け付け開始(集合場所:弘化の庄「かしや」(http://www8.wind.ne.jp/kashiya/
        (関越交通バス「細工屋」下車)関越交通バスサイトhttp://www.kan-etsu.net/arealink/oze/index.htm )

 三人委員会哲学塾プログラムの確定

 11月6日(日 )

  公開シンポジゥム

  開始時間 13時〜17時 「片品の避難者受け入れとポスト3.11の地域のかたち」
                              進行及びコーディネータ 三人委員会 鬼頭秀一   

   第1部 「片品の被災者受入れ」
      片品村の被災者受け入れの経緯と振り返り
        進行相手 片品村むらづくり観光課長木下浩美氏

   第2部 「「片品むらんてぃあ」の活動の意味に迫る──「支援」を問う」
       南相馬市の方々、片品むらんてぁメンバー
       組織立ち上げ、運営、役割、被災者支援から自立支援へのあり方を総括する。
        進行相手 片品むらんてぃあ 桐山三智子氏

   3部  「片品の活動の価値の普遍的意味をさぐる」
       立教大学教授 関礼子氏
       群馬県生活文化部少子化対策・青少年課長 飯塚欣彦氏
       三人委員会 内山節、大熊孝、鬼頭秀一

   18時〜 送迎バスで「山どん」に移動、交流会、終了後「かしや」宿泊者は送迎バスで移動。

 11月7日(月) 9時〜17時 「かしや」
       
    大討論会     ポスト3.11を哲学する──前日のシンポジウムを受けて
       提題:    内山節、大熊孝、鬼頭秀一            司会:三枝孝裕

 11月8日(火) 9時〜12時 「かしや」 

       討論会とまとめ 「これから」を展望する            司会:三枝孝裕

          「かしや」にて昼食後、自由解散。希望者は「鎌田」まで送迎バスで移動。

posted by: 事務局 | 片品村三人哲学塾 | 15:20 | - | - |
三人委員会哲学塾2011の開催のお知らせ

三人委員会片品哲学塾 2011
2011年11月6日(日)〜11月8日(火)
群馬県片品村(尾瀬)
テーマ「ポスト3・11の日本を哲学する」

2011年3月11日の東日本大震災と、まだなお終息する気配がない福島第一原発事故は、20世紀まで構築されてきた大きな社会の枠組みを根本的に問いなおすこととなりました。これからの日本の大きな転換点にしていかなければならないだろうと思います。エネルギーの問題だけでなく、社会そのもののあり方、人の暮らし方の今後のあり方が問われています。4年間お世話になった群馬県片品村は、かなり早い時期に、福島県の原発事故避難者受け入れを決定し、「片品むらんてぃあ」の活動を初めとして、今までにない画期的な形で避難者をサポートしてきました。私ども、三人委員会、三人委員会哲学塾ネットワークも、基金を創設して財政的支援をさせていただきました。その中で「支援」のあり方を考えてきました。今年の哲学塾は、今回の活動の総括も含めて、そのことが、3.11以後の社会のあり方を考えていく際にどのような意味があるのか、再び片品村の地で考えて行きたいと思います。多くの参加者の方と議論できることを楽しみにしております。

開催に当たり三人委員会より

内山節:再創造の基盤は、伝統と風土に根ざした地域力
戦後の経済成長とその後の市場原理主義の時代の問題点や、個人の社会の形成が社会劣化をもたらしていくことが明らかになりはじめたときから、多くの人々が新しい社会の模索を開始していた。それがボランティアの時代、コミュニティの時代、自然や農山漁村の価値を再認識する土壌をつくりだした。この土壌こそが東日本大震災からの復興と、同時におこなわなければならない日本の社会の再創造の基盤であることを確認するところから、私たちは前に進もうと思う。     


大熊孝:「転換点」とする強い意志が不可欠
3/11大震災・原発事故は『日本の今後のあり方の転換点になる』という議論があるが、自然と転換点になるわけではない。第2次世界大戦を終結させるためには、東京大空襲、沖縄戦の敗北、広島原爆と転換点になりうる事象が続いていたが、長崎原爆を待たねばならなかった。今回の3/11も「転換点にする」という強い意志を持たなければ、「転換点」になりえないであろう。
第2次世界大戦後は、科学技術立国ということで転換をはかり、それなりに成功したといえるが、現時点は、八ッ場ダム問題、諫早干拓問題、福島原発事故、自動車を中心とした拡散型都市の弊害などに見られるように、その科学技術が壁にぶつかり、解決の道が見えない閉塞状況に陥っている。これを転換するためには、それぞれの地域で、『それぞれの自然と共生する』以外になく、それに向かう強い意志が不可欠であると考える。


鬼頭秀一:「片品むらんてぃあ」の活動に見えた「支援」の重み
ポスト3/11の状況の中で「支援」という意味が大きく問われている。その中で「片品むらんてぃあ」の活動はある意味で刮目すべきものであり、相互扶助のあり方を追求し、新しい「支援」の形があった。三人委員会哲学塾ネットワークの創設した基金という形の「支援」もいろんな模索の中で運用を考えてきた。「平等性」などの透明性のある近代の原理が、実質的な支援を阻んでいるなかで、相互の信頼のネットワークを機軸にしてたシステムを模索した。それらの活動は、来るべき社会にあるべき一つの形を模索してきたといっていい。一方、福島第一原発事故に伴う放射能汚染・被曝は、人が地に足をつけて生きていく「農」のあり方の基本を根本から否定しつつある。被曝も全国的な規模まで拡がりを見せている。そのことの意味と今後の展望を議論したい。


プログラム概要

11月6日(日)12時受け付け開始 場所:弘化の庄「かしや」 (関越交通バス「細工屋」下車)※会場が変更になりました
関越交通バスサイトhttp://www.kan-etsu.net/arealink/oze/index.htm

13時〜17時 公開シンポジウム「片品の避難者受け入れとポスト3.11の地域のかたち」
全体の進行及びコーディネータ 三人委員会 鬼頭秀一
場所:弘化の庄「かしや」

第1部 「片品の被災者受入れ」
    関係者の方をパネリストとしてお迎えし、片品村の被災者受け入れの経緯とさまざまな立場から振り返る。
進行相手 片品村むらづくり観光課長木下浩美さん
群馬県生活文化部少子化対策・青少年課長 飯塚欣彦さん
   
第2部 「「片品むらんてぃあ」の活動の意味に迫る──「支援」を問う」
    片品むらんてぃあのメンバー、南相馬市の方々をパネリストにお迎えして
    組織立ち上げ、運営、果たした役割、被災者支援から自立支援へのあり方を総括する。
  進行相手 片品むらんてぃあ 桐山三智子さん

第3部 「むらんてぃあの活動とこれから」
    むらんてぃあの活動が片品に何をもたらしたのか。地域のかたちの未来をさぐる。
    「むらんてぃあ」にかかわり、育んでこられた方々との座談会

第4部 「片品の活動の価値の普遍的意味をさぐる」
    立教大学教授 関礼子さん
三人委員会 内山節、大熊孝、鬼頭秀一

写真展「小さな村、片品村で起こったこと」併設

    18時〜 送迎バスで「山どん」に移動、交流会、終了後「かしや」宿泊者は送迎バスで移動。

11月7日(月) 9時〜17時 「かしや」にて車座になっての討論会
朝、「山どん」からは送迎バス
 大討論会 ポスト3.11を哲学する──前日のシンポジウムを受けて
   提題:内山節、大熊孝、鬼頭秀一   司会:三枝孝裕

    18時〜 交流会、終了後「山どん」宿泊者は送迎バスで移動。

11月8日(火) 9時〜12時 「かしや」にて討論会・まとめ
朝、「山どん」から送迎バス(帰り荷物持参)
 討論会とまとめ 「これから」を展望する   司会:三枝孝裕

    12時〜 「かしや」にて昼食後、自由解散。希望者は「鎌田」まで送迎バスで移動。


主催:三人委員会哲学塾・三人委員会哲学塾ネットワーク 
後援:片品村・片品村教育委員会

お問い合わせ・お申し込みは・・・
三人委員会片品哲学塾2011実行委員会

〒277-8586 千葉県柏市柏の葉5-1-5東大柏キャンパス環境棟622号室 鬼頭研究室気付
Tel:090-7008-2930 (e-mail: kitoh@k.u-tokyo.ac.jp )

posted by: 三枝 孝裕 | 片品村三人哲学塾 | 15:21 | - | - |